1467. 先行感想 - DEATH NOTE page.108 「完」

今週号の「DEATH NOTE」について、大きくネタバレを含んだ感想記事です。未読の方は閲覧を控えて下さい。
最終回については、Web上のあちこちで無数に批評・感想・論争が繰り広げられる事でしょう。客観的で、誤解の少ない、空気読めてる文章は、そういったWebサイト様をご参考下さい。従って今回は、敢えて客観的には述べず、ごく個人的な意見を主軸に感想します。

あと、ケッコー長いです。ごめんなさい。


煩悩の数で最終回を迎えたDEATH NOTE。SnowSwallowでも、デスノの先行感想率は累計ナンバー1でした。*1それほど思い入れのある作品でしたが、最終回の締めくくり方は「上手くあしらった」という印象です。


ニアはデスノートを使ったか
「上手くあしらった」と印象付けたポイントを、端的に表す場面がこれ。松田と伊出の「ニアはデスノートを使ったか」に関する意見のやり取りです。『ニアはデスノートを使って魅上を殺した』という意見に対し、この作品は『読者の願望にお任せする』と結論付けた。そう言われた読者は、使った・使わなかったにしろ、そういうものと受け入れる他ない。

夜神月派、L派のどちらかにファン感情を抱く読者には、この結論は格好にウケが良いハズだ。なにしろ、自分の願望通りに結論付けられるのだから。しかし、DEATH NOTEを物語主義で、または中立の立場で楽しんできた読者の中には、戸惑いを感じる人もいると思うんです。

月信者の願望
 ニアはデスノートを使って魅上を操作した。1/28に魅上がノートを試さなかったのも、すぐにノートを燃やしたのも、その裏付けになる。本来、月と魅上は注意深く緻密に打ち合わせたが、ノートの操作で完全性が崩れた。また、ニアは月以外に「ノートを使わない」とは宣言していない。Xキラ=魅上と判明した末に魅上殺害を判断しても、ニアの信念と正義感からは外れない。…という松田+αの説を採る。
L信者の願望
 ハルを通してメロを計算通りに動かしたと仮定したら、「二人ならLを超せる」宣言が偽りになる。メロを自在に動かし、ノートの操作で魅上を封じ、月の完全犯罪を防いたというシナリオに、メロの意志が介入されていない。第二部は、ニアとメロの協力によって初代Lの仇を討ち、初代Lを超えたという偉業に意味がある。ニア単独での初代L超えでは納得感も感動も薄れるので、この説ではつまらない。
物語主義の心理
 大場先生は本作を悪魔の証明(「ないものを証明するのは極めて難しい」)に追い込んで、真相を迷宮入りにした。その上で、誰にも受け入れやすいエンディングにした。八方美人のなあなあ主義という、捕らえ所のない曖昧な最終回だった。うーん、上手くあしらわれた…。


八方美人な落としどころ
DEATH NOTEの最終回が読者を「上手くあしらった」という印象を持った理由は、この作品独自の見識で、正義・英雄を決定しなかったことにある。それぞれの正義、それぞれの信念で考え、戦い、行動したと結論付ければ聞こえはいい。けれど、創作物語の締めくくりとしてはいささか都合が良すぎる。なにより、八方美人すぎる。そんな意見です。

それこそ毎週、様々な推理を試行錯誤した。後の展開を予想した。だけどラスト、核心部分で「逃げられた」と感じた。

シビアに意見すると、「人の数だけ正義がある」「人は神になれない」「完璧な人間などいない」など、そんな一般論の締めくくりは世に溢れてる。常々読者の予想を上回る内容をたらし込んだDEATH NOTEに、そういった躰の良い平凡なエピローグ望んでない。すっげー奇抜な落下点、トリッキーな結論を期待したかったんだ。

デスノートという空想のアイテムが介入した空想社会の中で、『皆に納得感のある』なんて要らないでしょう。大場先生だけの、デスノートだけの、この作品だけの独自解、キレまくった答えを見たかったよ。別に唯一無二の答えなんて期待しないからさ…。


「願望」という無限の許容
何が正しく誰が正義か、明快に解答するのは困難の極みだ。とはいえ、丸ごとグレーゾーンでは、あまりにありきたりで物足りない。大場先生なりに、「正義」「悪」を言い定められるポイントを分類し、できるだけグレーゾーンを狭める解答を期待したかった。

しかし、こうした異論はたちどころに大場式「願望」によって集約される。DEATH NOTEの最終回に、様々な異論反論累々を並べても、「そういう意見も正義だよ」「その推理が正解の可能性もあるよ」となるわけだ。この点、「上手くあしらった」と言う他ない。「逃げられた」と感じる他ない。

そもそも「願望」という言葉選びはたいへん巧みで、万能に機能しすぎている。用法としては「ネタにマジレスかっこわるい」と同じだ。

「願望」というコトバは、どのような意見も許容すると見え、その実「無」に帰す事に等しい。無限の許容とはすなわち、「聞く耳持たない」あるいは「馬の耳に念仏」なんだよなあ…。


釣りで例えるDEATH NOTE
「逃げられた」事を『せこい』『卑怯だ』と主張したいのではありません。「逃げ」や「あしらい」って言葉にネガティブな意味が強いので、語弊がある。そこで、釣りで例えてみる。ご存じの通り、釣りの醍醐味は、魚を釣り上げる事だけではない。

  • 道具や場所を決める時間(作品の予備知識を蓄える時間)
  • 引きと渡り合う時間(今話を感想・考察する時間)
  • 引きをのんびりと待つ時間(次週の話を待つ時間)
  • 魚を釣り上げた瞬間(ごほうび)

ものごっつ強烈な”引き”を当て、長時間かけて獲物と渡り合った結果、最後に獲物から逃げられ、餌もとられた気分。つまり、その獲物が何だったか分からないの。巨大マグロかも知れないし、巨大長靴だったかも知れないし、クジラかも、サメかも、岩底かも、UFOの残骸かも……しかし答えは闇の中。

(ごく個人的な意見では)魚を釣り上げるとは、『ごほうび』を獲得することに等しい。魚に逃げられた、つまりDEATH NOTEが独創性あるユニーク解を述べなかったのは『ごほうび』がなかったに等しい気持ちを受けました。すっげーーー楽しんだけど釣れたのは小魚ばかりみたいな?

自分の『願望』と『現実』のギャップに、「こんなハズじゃなかった」と身勝手にガッカリしてる感じ。ほら、魚が全然釣れなかったからって、道具や海や水質に怒っても仕方ないでしょ? 単に、自分が現実以上の願望を抱きすぎただけなの。自分が痛かっただけなの。

他にも例えようはありますよ。

  • 念願の初デート! すごく良い雰囲気だったけどキスできなかった、みたいなガッカリ。
  • 引っ越しで大量の本をブックオフへ! 一斉処分できたけど売値は総額500円、みたいなガッカリ。
  • 早くも発表されたFF13! でもハードはPS3でとても買えない、みたいなガッカリ。
  • 必死に一夜漬けした試験勉強! なのに勉強する科目を間違えてた、みたいなガッカリ。
  • 一週間ぶりに妻がOKサイン! と思ったらコンドーム切れてたよ、みたいなガッカリ。


正義の多面性
正義の多面性にも「逃げられた」感あり。だいたいどの読者にも受け入れどころにある結論です。もちろん唯一解を出す事なんて不可能なのは重々承知だし、この方が余韻が残るのも理解できます。だけど、こんなに八方美人でごり押ししちゃったら、大場先生が主張したいメッセージ性なんてほとほと一般論しか残らないよ…。

  • キラ(夜神月)を倒して元の世界を取り戻した、二代目L(ニア)の正義。
  • キラ(夜神月)が負けたことで結果的に生き長らえたという、伊出や松田の正義。
  • 死してキラ信者たちの神となった、キラ(夜神月)の正義。

例えばね、「悪は裁かれる」に関しては正義に近いと思うよ。「悪は裁かれる」ことに恐れをなし、悪欲を抑えて実直に生きる人間たちの世界も、なかなか正義らしいように感じた。月が言うように、夜神総一郎のような真面目人間がバカを見る世の中は、正しいと思いたくない。だけど「人間が神を名乗る」「人間が神視点から人間を裁く」ことには抵抗感がある。

重ねて述べるが、この辺の価値観の整理は、DEATH NOTE作中でできるだけ片付けて頂きたかった。「正義」「グレー」「悪」の切り分けを、大人がマンガ作品から提示することで、少年誌を読む子供達が、善悪の価値観を学ぶことになるのだから。


夜神月の結末
月が思い描いた「新世界の神」とは違うけれど、結果的に月は死して初めて神となった。前話で月がごく人間らしく、醜く生を切望しながら死んでいった描写は、皮肉めいて見える。大変恐れ多いけれど、「イエス様だって醜く死んでいったんだよ」とでも言いたげだ。

『夜の月に神を拝む』から夜神月。『信者の手に灯火』でLight(ライト)。最後のページも、月の名を象徴する灯火(Light)で締めくくり。大場先生が第二部当初から思い描いたラストの場面って、このダブルミーニングも含んでたんだろな。


重箱の隅を突くという禁

  • 総一郎と月を亡くした夜神一家のその後、見せてくれないの!?
  • 海砂のその後も気になった。ニアに捕まったのか、芸能界存続か、堕落人生か。
  • 仮に松田の推理が正しいなら、日本捜査本部の皆さんはこの晩、YB倉庫で全滅します。
  • しかし、ノートに名を記述されていない山本が、ついにニアを追い詰める!
  • リュークは今ごろ、新しい暇つぶしを考えてるのかなあ。
  • 表紙のリンゴを眺めていると、月がリューくんにリンゴを与える微笑ましい絵を思い出します。
  • ありがとう、さようなら、次はアニメと映画でお会いしましょう!