1519. ノーパンチラ漫画の「イデオロギー解放」について
SnowSwallowは古来より、「見えそうで絶対に見えないノーパンチラ漫画」を絶えなく支持しています。しかし、このポリシーはあくまで、『公式となる一次原作』にのみ限ります。
パンチラする玩具。パンチラするアニメ。パンチラする小説やCDドラマ*1。原作がノーパンチラ漫画の場合、パンチラ漫画のそれとはまったく異質の魅力と、強烈な背徳性を放ちます。
つまり「原作では一度もパンツが見えない」という禁欲的抑圧は、商用戦略的に見て利点なのです。
今週号のWJでは、ついにミニスカ版リナリーのフィギュア化が発表されました。ここでD.Gray-manといえば、週刊少年ジャンプきってのノーパンチラ漫画です。今や現連載の中では、ONE PIECEとBLEACHに居並ぶ、三大ノーパンチラ漫画です。Dグレはここだけ看板漫画です。
スカートの中を覗いて下さいと言わんばかりのリナリーフィギュア。どんな思い出を作れってんだ!
このように、リナリーをフィギュア化した二次成果物の中で、下着がモロ見えするのは大賛成なのです。オレは見ないけど。
一次原作:公衆の作品
いわゆる一次原作は公式設定であり、誰の目に入ってもおかしくない公衆の作品です。そんな公然の場で、お気に入りのキャラクタがパンチラするのは耐え難い苦痛です。なぜなら、そのパンチラは、自分だけのものではないのですから。
どうせ見るなら、自分だけ見たいじゃないですか。
一般例として、恋人の下半身にミニバイブを仕込んで公園を散歩するなどに代表される野外プレイは、恋人の痴態の事実を自分だけが知っている征服感にこそ、醍醐味があります。このプレイは、公衆の面前で恋人の変態ぶりを晒すこととは、似て非なることです。
二次グッズ:密室の作品
しかし、玩具や同人誌、二次成果物は違います。これらは、原作のストーリーラインから逸れた、あるいは原作の世界観から外れた産物です。一次原作を『公衆の作品』と呼ぶなら、二次成果物は密室の作品と言えましょう。
密室の中で、「僕だけ私だけのリナリー」をお楽しみ頂くのなら、いくら下着や乳首や秘密の毛が見えようとも、それを咎める権利は、一個人であるオレにはございません。どうぞ、心ゆくまで二人だけ*2の世界で、彼あるいは彼女との淫行をご堪能下さい。
これらは『密室の作品』です。オレが知っている「原作」には、何ら影響しません。つまり痛くも痒くもありません。*3むしろ、原作が禁欲的にノーパンチラの努力を続けた分、フィギュアの売れ行きは伸びて、噂が口コミで広がり原作がヒットした! …という還元効果を称えるべきです。
同人創作:空想の作品
同人界的にも、「スカートの奥が一度も見えない」原作の方が、より汚し甲斐があるでしょう。同人誌は原作世界を超えません。それこそ『密室の作品』です。いえ、ファンが原作の偶像で楽むという趣向は、密室よりワンランク深い、空想の作品とさえ言えます。
原作では一度も見えなかった下着はおろか、大胆な性描写までなんでもアリ。普段から裸体ばかりのToLoveるよりも、普段からストイックなエム×ゼロや斬の月島さんの方が、より背徳的な魅力を感じます。かえって話題になるし、売れるし、口コミで広がりやすいようにも感じます。*4
この現象を、オレは『イデオロギー解放』と呼んでいます。
ノーパンチラ・イデオロギー
原作がストイックなほど、それなのにギリギリまで際どい描写をするほど、イデオロギーとしてのポテンシャルは高位になります。もしも、誰も見たことのないパンツが『密室で見えたら』どうなるんだろう。こうして、高嶺の花が夜明けの雨露でその花びらをぐっしょり濡らす”あらぬ姿”へ幻想を抱き、胸を焦がすのです。
ノーパンチラ至上主義の男性読者は、今日もイデオロギーによるストレスを蓄積します。様々なメディアから、ノーパンチラ描写を吸収し、己の欲求を焦らし続けていきます。長く貯蓄した精神的緊張や負担を、いつかどこかで発散することを夢見て。そう、彼らは知っているのです。
イデオロギー解放による、極上の快楽の味を。