1705. 同人誌の読者対象って、Webサイト読者じゃないとダメなの?

mixi経由でことの顛末を知りました。そんな話題が出ているとはつゆ知らず…。なんとなく、自分たちの同人誌がコトの槍玉に挙がっている気がしましたので、オレ個人の意見を捻出しておきます。これで「お前はちげーよ!(笑)」とか言われたら、すっごく恥ずかしいなあ…。

追加投稿の「誰の為のウェブサイト?誰の為の同人誌?」のご意見に対しても含めて、ざっくりとオレの考えを述べていきます。


『週刊少年打ち切りジャンプ』の読者対象
最初にお断りすると、『週刊少年打ち切りジャンプ』の想定購読者は、「ジャンプファン」です。即売会に足を運ばれるすべての参加者のうち、「ジャンプファン」かつ「あの打ち切りマンガが載っている同人誌が欲しい!」という方がターゲットです。

ですので、本件の大前提となっている『ウェブサイト読者に向けた同人誌』とは、あまりにも差異があります。原文の問題定義からすると、ウライオライトの『打ちジャン』は対象外です。対象外なのに首をつっこむのも妙ですが、一部「対象にされている」と感じた内容もありましたので、やはり関係者なのかもしれません。

先立ってオレの意見をハッキリ言わせていただきます。オンラインやオフラインなんて境目、クソッタレです。


『打ちジャン』の信念
『週刊少年打ち切りジャンプ』は、確かに、Webサイトの活動で培った経験と知識を集約して作品化した同人誌です。本書はWebサイトを観ていない方にも、なんら問題なく平等に楽しめる内容です。もちろん『打ち切りマンガ』を何も知らないと難しいですけどね!

しかしながら、読者ターゲットはギュッと絞ってこそ、創作物は高濃度になります。高濃度になればこそ、「世界に二つと無い作品」を創造できます。『打ちジャン』は、そんな唯一無二の同人誌になってほしい。オレ個人としては、そんな思いから『打ちジャン』の製作に協力しました。(他の人の思いは分かりません…)

その原動力は、「誰もやったことのないこと」をやりたい、「前人未踏の作品を作りたい」という、創造意欲にあります。思えば「スノウムレイディオ」だってそうです。誰もやったことのないことを、思いっきりハードル上げて、対象をぎゅっと絞って精錬する。これがなんとも気持ちいいのです。


なぜWeb上で発表しないのか
前人未踏、空前絶後の作品を発表するにあたり、「Web」より「本」を選択したことも、ごく自然の流れでした。『週刊少年ジャンプ』は出版物だから、『週刊少年打ち切りジャンプ』も出版物の体裁の方が、パロディとして光りますし、本格的に見えます。

また、Webは良くも悪くも一過性の意見を述べるに適する空間なのです。端的にいえばインターネットは「読み捨てる」文化です。オレが思うに、独立した一個体の作品を製作・発表する場としては、相応しくありません。

『打ちジャン』は扱う題材を最小限に狭めた分、作品の方向性は一点集中突破型です。「ジャンプの打ち切り漫画が好きな人」への爆発力は計り知れないと、自信をもって言えます。こうした、一部愛好家にだけ超反応していただける読み物は、媒体を「本」に移した方が、より(ネタの)破壊力を高めると考えます。

さらには、こんなアホアホでネタネタな読み物を「完成品の出版物」として、2008年夏現在までに手懸けたアホが居たでしょうか。『ジャンプの打ち切りマンガ』だけを題材にした前人未踏の内容を、一冊の本に閉じ込めて送り届ける『ロマン』を想像してください。「本」の形で再現されてこそ、最大の真価を発揮すると思いませんか。


『読者ありき』と『作品ありき』の価値観
ペイサさんとオレの間には、大きな価値観の違いがあります。

  • ペイサさん:『読者ありき』主義
  • オレ:『作品ありき』主義

オレは、自分の手懸ける作品が面白くなるなら、身体を張って納豆にプリンアラモードを交ぜてエロ画像に仕立てたものを余さず食べますし、エピローグにエロ小説を添えますよ。それは読者のためではありません。『作品』をより面白くするためです。

オレは、以下に述べる主義を、SnowSwallowの運営において現在まで、ねじ曲げたことはありません。

  • 読者のために創造するのではない
  • 面白い作品を生み出すために創造する
  • 面白い作品を生み出せば、面白いといってくださる読者が集まる

「感想しないと読者に悪いなぁ…」と謝罪したことは多々あります。それは、人間としての感情面から発したメッセージに過ぎません。読者のためにジャンプ感想する、読者のためにサイト更新する、なんてまっぴらです。時間的な理由から面白い物を送り出せないと判断したら、無理と思ったら、さっさとサイトは休止してきました。

読者を大切にしたくても、大切に出来る余力がないのだから、割り切って即決するのが、ストレスを最小限に抑える秘訣でもあると思います。人間のキャパシティを超えた活動は自滅するのみです。なにより、そんな状態で『面白い作品』を手懸けることは不可能です。

  • 読者が欲しければ『面白い作品』を発信する
  • 読者を大切にしたければ『面白い作品の発信』を持続する
  • キャパシティを超えて無理と判断したら、素直に退陣する

結局のところ、これがサイト読者に対して、一番の恩返しになると考えます。そしてこのお話は、サイト論に限りません。受験勉強だって、社会の仕事だって、家庭内の家事や育児だって。周囲が満足するラインを目指すのではありません。、自分が最高と思えるラインをキープして、周囲を満足させる・見切るという理念が、オレの価値観です。

以上のお話しからも、オレとペイサさんでは「価値観が違う」ので、この辺のお話を詰めすぎても、平行線を辿るように思います。主義主張のお話に関しては、ここまでにしておきます。


なぜ「同人誌」なのか

『なぜWeb上で発表しないのか』で述べた通り、作品は「本」で発表することになりました。では、なぜ「本」は「同人誌」の体裁で発表するのか。その辺りを掻い摘んでいきます。ここでは三つの理由を述べます。

  1. 「同人誌」として送り届ける理由
  2. 同人誌に「対価」を求める理由
  3. 通販でなく夏コミで売る理由

(1)同人誌として送り届ける理由は、今の世の主流がそうだから右に倣っただけだと思います。ここに選択肢はありません。(※思いますと記述したのは、オレが判断決定者ではないからです。ですが、判断者の意図は理解しているつもりですので、このように表記しました。)

(2)同人誌に「対価」を求める理由は、『同人誌即売会』がそういった文化圏だからです。仮に『打ちジャン』を無料配布したら、周囲の同人活動家がどえらい迷惑を被ります。ちょっとした思いで作った方の、ちょっとした本は、「無料」で頒布しづらくなるでしょう。無料配布のハードルを上げては、他の同人作家にご迷惑をおかけします。同様の思考を積み重ねて、「同人誌の相場」とされる価格で頒布するのは、至極当然の判断です。

(3)通販でなく夏コミで売る理由は、「出版数」にこそあります。同人誌を作るには先行投資(お金)が必要です。素人が趣味で投資できる金額には限りがあります。同人誌は決して商売ではないので、「売れれば売れるだけ」なんて発想で活動することはかないません。

限られたわずかな冊数を頒布するにあたり、「形ある出版物」をオンラインで流通させるなんて、たいへん味気ないです。「形あるもの」は、形ある世界上で、手と手で渡したいんですよ。そもそも限られた冊数しかお渡しできない代物なら、現場まで足を運ぶほど「熱意」を持って買ってくださる方に、優先して配っていきたいのが人情です。

更に言えば、当日の都合で「どうしても買えない」のなら、制作側にその熱意と意思をメールなどで伝えていただければ、取り置きの対応も可能です。それは希望者の量にもよりますが、少なくとも『打ちジャン』は対応できますし、現に依頼もいただいております。


同人即売会の熱気を体験してほしい

オレの考えをもひとつ上重ねさせていただきますと、オフラインの鮮烈な暖かみを「実体験」してみてよ、という意見があります。現地で、その場で、見ず知らずの人と人とが、面と向かってお話しして、意見交換できるんですよ。これは、アクセスカウンタの数字だけが増えるオンラインとは訳が違います。

作品を買う側に立った「購入する」「購入しない」、作品を売る側に立った「購入される」「購入されない」に関わらず、参加してみたら、あの独特の空気感がざっくばらんにご理解いただけると思います。オンラインだけで活動してきた人間には、これはカルチーショックに値する体験です。オナニーとセックスくらい違います。セックスは実はすごいんです!!

オンラインとオフラインのギャップ、衝撃の違い、快感の違いを体感されれば、また違った意見を持つことになると思います。


最大の危惧について
原文のコメント覧にて、どなたかが仰っていましたことを意訳します。

  • オフライン(同人誌) → オンライン(Web活動)の流れは正方向
  • オンライン(Web活動)→ オフライン(同人誌) の流れは負方向

原文では、「Web活動は同人誌ありきの世界に変わること」を危惧されました。正負の両方向をフォローできないと、Webサイトは死活するという意見です。それはつまり、「同人活動だけ」「Webサイトだけ」だと絶滅するという極論です。自分は同人活動をした経験者ですから、それはあり得ないと断言できます。

ハッキリ言いまして、同人誌製作は生半可な覚悟じゃできません。「同人活動」なんて日常的にやったら死にますよ。7月の最終14日間は締切に追われ、平均睡眠時間が二時間半でした。受験勉強より酷かった…。今までの人生で最大に過酷だった……。

ギャグとかじゃなくて、本当に痛々しいくらい、リアルに死人が出ます。こちとら平日は、仕事だって残業だってあるんです。これで倒れなかったのが、不思議なくらいです。そこに「Web活動」まで挟み込んで、並行活動するのが新標準になる? 「学校・会社」「同人誌」「WEB」を三点両立できるスーパーマン運用が、次世代のデフォルトスタンダードになる?

ねえよ!

そりゃ、ほんと一部の方には、そんなスーパーマンもお見かけしますよ。でもそういった人は、オンライン上のオリンピック選手みたいなもんです。電子の妖精さんみたいなもので、あちこちにゴロゴロいたら困ります。というか、仕事や家庭をどうするつもりなの? …ネット活動が生業なら納得いくのだけど。

この点だけ、重点的にツッコミを入れるのもヤボなのですが…。それでも、あの苦汁を舐めた者からすれば、ひとつやふたつ、言いたくもなります。「あまりにも実経験(あるいは想像力)に乏しく、現実が見えてなさすぎる空想論には、極めて腹立たしい気持ちになりました」…と。

仮に「Web活動」と「同人活動」の双方に超効率化が進み、最大の危惧が実現したなら。それはそれで、文化的に正しい流れだといえます。「同人誌とWeb活動を並行展開した方がすごく面白くなる」という世の中にあって、それらを誰もができるまでレベルダウンしているのだから、片方しか活動しない人は「取り残された人」となるでしょう。


当意見の着地点
オンラインでもオフラインでも、その人がそう決断したことなら、好き勝手に楽しめばいいじゃないですか。例えば「同人誌を作る人」も「同人誌を買う人」も、つまるところ、楽しんだ者勝ちです。

ネットラジオ? 同人誌? 別にまったく興味がないんだけど?」などと、興味がないことを主張する暇もなく、面白いことに傾倒した方が、絶対にお徳です。…いえ、すみません、こんな説教臭い意見、かえって鼻につきますよね…。自分だってネガティブなこと言うくせにね。「フィギュア? コスプレ? 興味ねえー!」とか散々言ってるくせにね。大人ってズルイです。この考え方については、自分も反省しなきゃなりません。


意見をまとめます。

自分が100%楽しめると思うことに100%の熱意と能力を注力する。最大限のモチベーションで体当たりして、最大効率で成果物を仕上げる。そこで培った経験値は、必ずや次の面白い記事・作品を生成できるはず。今よりももっと面白いことができるようになれば、今よりももっと大勢の人々を楽しませることができる。

結局、中盤で書いた自分の「理念」によるところが大きいまとめとなりました。