1650. Web世界に根付く「正義」と、その進化

Webが人類共通財産として広まり、便利化が進行に従って、Web上の「正義」というキーワードが進化してるなあ、と感じています。

従来の「正義」について。

偽ることは悪。偽らざるは正義。近代教育は、そんな道徳性を声高に唱えます。企業におけるコンプライアンスは、今や時期を熟したテーマです。メディアが盛んに報道する『偽造○○』*1は、正義大好き現代人の注目と関心を掴んでやまないアルティメットウェポンです。

今やジャンル問わず、360度全方位で「虚偽」の監視体制。手品を替えては根掘り葉掘りとシビアに取り締まり、正義の鉄槌(世論による炎上現象)を下すのが、現在の風潮であり、流行です。こうした現象って、過去に類があったでしょうか。…あったかもしれませんが(弱気)


現代道徳観とWebの相乗効果
「虚偽や裏工作はバレたら社会的に抹殺されるよ、だから法令遵守しよう」的な道徳観が、にわかに息付きはじめた、この時代。タイムリーにも、そこにWebというコミュニケートツールが本格的に到来します。圧倒的な情報公開力を備えた新時代ツール「Web」が、そうした道徳観を後押ししたのは、間違いありません。

  1. Webでは、TVや新聞ではありえないほど、情報公開力が強い。
  2. Webでは、虚偽の指摘が広まるとこれを隠蔽することが難しい。
  3. Webでは、過去の犯罪自慢なんてしようものなら即日吊される。

以上三点から、ネットユーザは「正義」であろうとします。それは暗黙のルールというか、常識めいた空気になっています。だから、ネット歴の長い人ほど「正義であろうとする空気感を読めている」ハズです。例えば上述3の事例は、ネット歴の短いKYな方ほど陥りやすいです。


正義のルーツ
最も常習的な正義の振る舞いは、人付き合いで「相手を気遣って善人であること」です。炎上の可能性を極限までセーフティにすること。トラブルやいざこざが降りかからないよう、安全圏を確保すること。Web上でのこの手の正義は、同時に保身術でもあるのです。

従って、匿名掲示板には人が集まります。世界樹の迷宮風に表現すると「匿名の身分で、キミは正義でもいいし、正義じゃなくてもいい」のです。ゆえに気軽で、軽率で、軽薄で、子供じみた、悪い冗談のような発言も許されます。ヒール役になりきる人も、なりきれない人も、肩の荷下ろして気軽に利用できる特殊空間なんでしょうね。


正義と創作物の親和性
さて話題はとんでもなくズレてしまいました。軌道修正。

引用元の記事を超要約すれば、漫画の盗作疑惑を「ネット発で告発される事例」に反発する内容です。誤解を恐れず、現代流の正義振りかざすならば、その発言は時代錯誤も甚だしいです。「昔からの常習・常識だった」発言は、現代に息づく『コンプライアンス文化』の道徳観からすると、完全にNG発言です。過去の悪習や問題を断ち切り、新時代をクリーンな形で迎えることが、現代流正義の目指すところでしょうし。

しかしながら、漫画、音楽、アート、デザイン、テキスト…そうした芸術界隈は、「法令遵守」で線引きしがたい文化であることも、たいへん理解に値します。英数国理社の学校教育だって、教科書と教師の『模倣』からはじまります。食事だって、仕事だって、小作りだって、冠婚葬祭だって、スタートラインは模倣です。「模倣とは継承である」ということです。

芸術界隈は、何事も模倣からはじまります。引用元記事では、天才・手塚先生だって例外はなかったとあります。それだけに新人作家などは、独自性や強みが未熟のまま、何らかの影響を頼りに創作されるのが自然です。オリジナリティとは本来、長い年月を掛けて産まれるものでしょう。

ところが、若芽のうちに正義の鉄槌を受け、無惨に刈り取られては……うーん、確かに気の毒です。極論、将来日本から誕生するハズだった国宝級芸術家を潰してしまった可能性もあります。芸術界隈ではそうしたジレンマが潜在するから、著作問題の解決にも鈍足にしか進んでいかないのでしょうね。


そんな中、同じWeb上では、ここまで紹介した「正義」とは相反する、もう一つの「正義」が成長しています。

新たなる「正義」について。

一つ目の「正義」とは、「著作を犯すような偽りは許せない!」という守りの論法でした。しかしこちらは、「著作を犯してでも注目を集めたい!」という、偽りを自覚しつつの攻めの論調です。いやいや、これはおかしいぞ? 前者と後者は自家撞着しています。

ニコニコ動画YouTubeBitTorrentなどに勝手にコンテンツをアップしている人たちには、重要な役割がある。「放っておくと今の若い人たちはこういうことをしたがる」とビジネスや世間に知らせているという役割だ。

現代の道徳観を嫌というほど叩き込まれてきたのは、ゆとり世代((広義である10代〜20代後半の意味で)である我々「若い人」です。その若い人が、著作を犯すような罪の意識を上回ってでも、二次創作を公開して、有名になりたがる…ということなのしょうか?

結論は、下記に続きます。

2次創作を許可すれば、売り上げも上がる

この一行に尽きます。

二次創作を発表するということは、彼らにとっての新しい正義なのです。その正義とはつまり『売り上げに貢献している』という献身の意識です。自らコストを払って集客することで、自らは注目を浴び、著作元にも貢献・還元ができるのです。そこには、もはや「罪の意識」なんてないのかもしれません。……あったかもしれませんが(超弱気)

かなりざっくり大胆な個人的見解ですが、日本人は戦争を放棄して平和の中で生きた時間がしばらく続いたから、「正義」が大好物なのかもしれないッスね。ことWebに限っては、保身も兼ねて正義にこだわると。そうした正義の形が、著作物の取り扱いに関しては反転しはじめた奇特さ。それでいて、ふたつの「正義」は別系統の概念ではなく、一つ目の正義から『正統進化』したように見える興味深さ。

「Web文化」と「人間の価値観」、双方に『進化』を感じます。ここは面白いインターネットですよね。

*1:偽造建築、偽造報道、偽造食材、偽造表示...etc