1541. 結婚生活を成功させる三つの『共有』

結婚はゴールじゃない。

結婚以前は幸せでも、結婚以後は不幸になったという切ない経験談は、いつの世も巷に溢れる。オレは未婚者だけど、こたえてちょーだい」を視聴すればこれは自明である! 童貞中二男子がエロ漫画を読んでスカトロはノーマルプレイだと感化されるケースとは訳が違うよ。

結婚したって事は、結婚以前は上手くいってたハズだよね。*1なのにどうして、こんなにも失敗の声が挙がるのか。しかもこれ、「趣味」というごく一部の枠組みに限った話。この他にも、家族*2とか財産*3の話題に目を向ければ、失敗トークは無限大に広がりんぐ、じゃないかなあ。

漠然とした意見だけど、結婚以前の「成功条件」と、結婚以後の「成功条件」は全くの異物であるように思う。そこを履き違え、結婚以前の成功だけで、結婚生活も成功するだろう、と誤認するのでは。この思い違いが大きなギャップを生む=愚痴をこぼす、と。

そこで、結婚以前と以後では、いったい何が違うか考えてみました。


結婚以前:三つの一致
結婚以前では主に、男女間の「三つの一致」が主要条件となる。

  1. 恋愛感情の一致(両想いであること)
  2. 価値観の一致(性格・思想が合うこと)
  3. 理想条件の一致(自分の好みに合うこと)

会話が弾むか、自分の好みに合うか、浮気しないか、相手の金の使い方を許せるか、嫉妬がウザくないか、ルックスや服装は、性交の相性は…これらは全て、上の三つに集約できる。どちらか一方が相手を我慢できなければそれまでだ。

極論、自分を相手に合わせる必要はない。自分の理想条件が相手に合うか、ただそれだけ。*4制約に縛られない現代型「お付き合い」の長所だろう。結婚以前の恋愛は、いわば就職活動か。


結婚以後:三つの共有
対して結婚以後は、男女間の「三つの共有」が主要条件となる。

  1. 財産の共有(金銭自由の制約)
  2. 時間の共有(趣味自由の制約)
  3. 一族の共有(子供の制約、相手方の親・親戚・風習とのお付き合い)

結婚生活で成功を収めるに、『三つの共有』は避けては通れぬ道。そしてこの思想は、結婚以前にはなかったものだ。お小遣いが著しく規制される、相応しくない趣味は制限される、相手の一族の顔を立てて生活する…こんなこと、普通は結婚以前に(同棲でもしない限り)協議しない。

話を戻すと、この「三つの共有」を一切話し合わずに、「理想のルックスで、価値観も合って、好きだから」と結婚すると、とんでもないことになるのではないか。それはつまり、「こんなはずじゃなかった」のため息に尽きる。


「一致」と「共有」の違い
結婚以前の「三つの一致」は、個人プレイで解決する課題が多い。このとき選択肢は三つ。「相手の理想」に譲歩して自分を変えるか、「相手の実態」に譲歩して自分の理想を変えるか、何も変えずに「別れる」か。就職活動だから、その人がベストな企業ならすり寄れば良い。合わないと思ったら回れ右して良い。

結婚以後の「三つの共有」はしかし、結婚したその日からチームプレイが当然になる。そして「三つの共有」は、「三つの一致」よりも高次元の課題だ。譲歩とか別れるとか、そんな低レベル思考は成り立たない。

妻に多額の借金があれば、これは夫の責務と同意になる。夫に浮気相手ができれば、これは妻の責務と同意になる。個人の問題は、イコール夫婦の責任。だから共有化は厳重に取り締まるのが当然になる。かくして勝手は許されない。

例えば、企業が「個人情報の取り扱い」を厳重に取り締まるのと同じ。一人の失敗は企業の損失になる。結婚とは運命共同体の契約」に等しい。個を優先しては、同盟の意義が失われる。結婚の意味が欠如する。


話が広がりすぎたので、この辺で閑話休題

「女」は「母」にクラスチェンジすると別人になると聞く。母とはつまり、夫のみならず産み子さえも束ねる存在だ。家庭内で唯一「家族の共有」を厳重に取り締まる女帝だ。「男」だけいつまでも個の生き方にすがるのは、クラスチェンジの機会がないから…なのかも…。


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*1:最近は「でき婚」件数も多く、これに限らない可能性もあるけどさ。

*2:子供の進学、相手親の扶養、一族の維持…etc

*3:ローン、お小遣い、ギャンブル…etc

*4:相手に合わせる(相手を喜ばせる)のが「大人のお付き合い」の第一歩かもね。