1763. なにが好きかで自分を語ると弱味を見せるが恐れるな!

自己主張の方法は大きく二つあります。

  • なにかを「好き」と表明すること
  • なにかを「嫌い」と表明すること


「好き」を表明する弱味
なにかを「好き」と表明すると、自分の弱味を晒すことになります。

恋愛は先に好きと言った者負けなんて駆け引きがあります。たとえ両思いでも、先に告白した方が「あなたに従属する」というイメージを相手に与えてしまい、その後の立場を弱くする状況を言い含めた例え話です。

あるいは誰かに「あの映画すごくよかった」と伝えたとします。ところが「世間的にはクソ評価だよ? ネットのレビューサイトでも100点中の8点で。キミの趣味って変じゃない?」なんて反撃を受けては、プライドも面目も潰れてしまうことでしょう。

「好き」の表現には、物事を平和的・善意的に捉える一方、評価対象に従属する側面があります。これはつまり、評価対象を攻撃されると自分もダメージを負うリスクを併せ持つということです。

ただ純粋に「好き」を表現しただけなのに、その行為は無意識に自分の弱点を広げてしまう。これがつまり、物事を「好き」で表現する弱味です。

「ジャンプが好き」「バクマン。が好き」「繰り返し世界ゲーが好き」「宇宙論が好き」「NHK大河ドラマが好き」「おこめが好き」といった「好き」の表明は、第三者から攻撃される「隙」を生じさせます。

好きを表現しなければ、元よりそんな弱味を背負い込むことはないんですよね。故に、誰かに何かを「好き」と表明する(高評価する)のは、負傷する覚悟、負傷を恐れぬ勇気が必要です。


「嫌い」を表明する強味
なにかを「嫌い」と表明すると、他者より優位な位置を確保できます。

イジメは猿山の優劣争いに喩えられます。そもそもイジメは自然界でも観られる現象で、個体の優劣からヒエラルキーを形成する動物の習性ともいえます。この習性の根幹に潜む自己主張こそが「嫌い」の表明です。

先の映画の例え話も、後者が「嫌い」を表明したのは、結果的に「キミより僕のが映画を知ってる、よりよく評価できる」という自己主張の表れです。同時に、「嫌い」の表明は、「好き」の表明から反撃を受けるリスクが低いです。

「嫌い」の表現には、物事を攻撃的・悪意的に捉える一方、他より優位に立って己身を守る側面があります。これはつまり、「嫌い」で語ることは「好き」を語ることより安全に勝てるということです。

人々は、物事を「好評」するより「悪評」することを選択しやすいです。例えば国内政治・世界経済・WBP人事を叩くマスコミ。そのマスコミを叩くネットユーザ。ネットユーザを叩くテレビメディア…。人は本能的に「嫌い」で語るほうが優勢になり安全という実態を直感しているのでしょうか。

ことインターネット上においては、発言がログに残りますし、発言者の姿や真意が見えないためか諍いが起こりやすい。不用意な「好き」の表明が隙を生み、どこで揚げ足を取られるかもしれません。

かくしてインターネット世界は「不信」で歪み続けています。


コミュニケーション上の「好き」「嫌い」
「好き」「嫌い」の表明は、人と人とのコミュニケーション上にも表れます。

  • 「好き」とは信頼すること、他と群れること
  • 「嫌い」とは不信がること、孤独でいること

またも例え話になりますが、よくミステリモノでこんなシーンが見られます。

「この中に犯人がいるってのに仲良く眠れるかよ…。俺は一人で休ませてもらうぜ」

そして翌朝殺されてる被害者さん。これなんてまさしく「嫌い」の表明から生じた「不信」の行動です。ここでの結果はバッドエンドですが、「嫌い」の表明は悪いことばかりではありません。振り込め詐欺に警戒したり、自宅の戸締りをキチンとするのも「不信」から始まる行動です。

ですがそうした「不信」の防衛は、そもそもを辿ると「人間同士が信用できなくなった」社会情勢にあります。言うなれば、巨大な嫌いの表明(=信用が置けない社会)に「嫌い」を表明するという、負の連鎖が招いた結果だと感じます。

道を歩けば通り魔に刺され、家に篭れば放火魔に焼死させられる世の中ですが、「嫌い」を「嫌い」で警戒しても、最悪の結果に陥るのは明らかです。時に善意の行為までも犯罪と見誤れては、冷たくて寂しい社会だなあと思いますよね。

…とまあ、そんな偽善的意見はこんくらいにしときましょ。


「好き」を「好き」で応じる心地よさ
知り合いと好きなゲームや芸能人の話題してる時、やたらとディスって話の腰を折る人っていますよね。「好き」を語ると隙が生じますから、「嫌い」で揚げ足を取りやすいのは分かります。でもそれ、あんまり建設的じゃない気がするんですよね。

オレだって、誰かの「好き」の表明に「嫌い」で応じる時はありますよ。そこそこ思い当たることもあります。でも、後で反省しちゃうんですよね。相手の気持ちを踏み躙ってまで言うことだったかなぁって。相手の「好き」に自分の「好き」を上重ねしたほうが、よっぽど楽しい話がデキたんじゃないかなぁって。

「議論の場」とか「考察会」とか、そういった場ならともかく、楽しくオシャベリする場でね。ちょっと分かった気になって、カッコイイつもりになって、知ったぶって相手をDisっちゃうと、あとで自分の方もつまらない気分になったりして。

はいまあ、珍しくもなく長文になった時はオチが弱いし、しかも今回は意見もまとまってないですけれど。なんやかんや思い付いたところをテキストにしてみました。

相手が「好き」を表明した時は、こちらも「好き」で応じてみませんか。