1584. 1円を笑う者は1アクセスに泣く

はてなを初めた当時、こんなにグルグルとカウンタが回るとは、思いも寄らなかった。オレも昔は、手打ちでタグを書いた名知れぬHTMLの「ホームページ」を持っていたから。だからあの頃の文化が、未だに深く根付いてる。

今でこそブログに優しいネット状勢。だけど、HTMLページが全盛期の頃は、アクセスカウンタに「六桁の壁」みたいな境界線があったモノだ。それを超える者達はたいてい、名だたるテキストサイターか、手練れの絵描きか、世に謳う有名人か、オタク受けするファンサイトだった。

オレより昔のネットを知っている方は、きっと『五桁の壁』を言及するんだろう。更には『四桁の壁』を知るネットの草分け的存在が登場しても、如何ほどもおかしくないと思う。だって、せいぜい10年チョット前の話だから。

世の中には物価って概念があって、これは電脳世界でもきっと同じで。土地や株や金に「その時の価額」があるように、ネットにも「アクセスの物価」があると思う。

昨今のインターネット人口は激増の時勢。インフレ環境整備は大躍進。ネット内の各種検索システムも著しく進化を遂げた。いわば、「インターネット国が人口爆発して、色んな場所から安価で素早く入国する関所ができて、交通機関も道路整備も革命が起こった」的な場所なんだよなあ。

インターネット国にWebページやブログの『マイホーム』を構える住人にとって、アクセスとは例えば『金』のようなもの。そしてこの「アクセス」の物価は、日毎に低下し続けている。今のblogで回る「10,000アクセス」は、あの頃の「1,000アクセス」にも満たないんじゃなかろうか? と、野暮なことを考えてしまう。

あの頃目標にしていた「10万アクセス」も、今は一月余りでそれに達する。それでもなお、「あの頃に頑張った1万アクセス」にも届かない気がするのは、単なる懐古心からか。費やした日数の差異か。それとも、今ここで回るアクセス数が虚しいだけか。

だけど、「アクセス」の価値が低下するワケじゃない。あの頃の1アクセスも、今日の1アクセスも、同じ「1人の人間」が落としてくモノ。そんなところに思いを巡らせると、たった1gのアルミニウムも、笑えなくなりました。