886. 2050年人間は「不死身」に

オレが中学生に成り立ての頃、「生命の寿命」を伸ばすことは「種の寿命」を縮めることになると、朧気に思ったことがあります。そのくらいの歳頃ってすごく不思議っ子だから。

仮に生命が死を超越した場合、その生命は絶滅の危機に瀕するも同じと考えられます。死ななければ種の繁殖が必要なくなる。次第に、その種は繁殖機能が弱まった進化を辿る。しかし『死なない』とはいっても、事故や争いで種の個数は減少するので、繁殖できない種は滅亡を待つ。単純にまとめると、そんな考え。

「死」を超越しなくても、寿命が100歳を超えたり、やがて200歳に到達したりと、個体がそこまで生きる種になれば、繁殖の意味が薄まりすぎ、やはり危うい気がします。そんな妄想話を前置きにして、このニュース。

2050年には人の意識をコンピューターにダウンロードすることができるだろう。となれば、人間にとって死はもはや大きな問題ではなくなる」と断言した。

またトンデモな科学の話を引っ張ってきました。

人間の意識をPCに移せたとしても、それは複写の存在。この肉体に宿る自分の存在は残りますよね。結局人間は死を逃れられないわけで。それってあまり利になってないのでは…。

(どっかのSF映画SF小説かSF漫画かSFゲームでやり尽くされた内容ですが)一方で、コンピュータに複写された意識は、自己の消滅を恐れて保守行動を開始。人知を越えた計算結果により、彼ら電子生命体にとって最も危うい存在は、実体を持つ知的生命体の人間と割り出す。やがて機械達は人間に矛先を向けるのであった。…と、さながらWaqwaqの世界になります。

2050年に「脳ダウンロード」を享受できるのは金持ちだけで、貧乏人は2075−80年まで待たねばならないだろう、と指摘した。

残念、貧乏人のオレはそんなに生きないですよ。冒頭でオレは「生命の寿命」を伸ばすことに危機感を抱く風なことを言ってましたが、でもやっぱり、この話には若干のロマンを感じてしまいます。

この文章を書いてる意識を持つ自分と、コンピュータに移した自分とは別の存在ですよね。コンピュータに移した自分がその後何千年生きようと、”オレ”自身は関係ないし、オレが死んで以後は責任も取れない。でも、電子世界に複写された”オレコピー”の存在は、オレの存在が消滅した後も長らく存在し続けて、オレが見られなかった世界の行く先を見て、オレが考えもできなかった未来世界のあり方を逐一観察しては思考・判断する。ややこしい話ですが、コピーがオリジナルの寿命を超えて生き長らえるって話は、とても不思議で妙な気分になります。

コンピューターの飛躍的な進歩のあり方からすれば、2020年までには「意識」を持ったコンピューターの開発が可能になると指摘。意識のあるコンピューターには感情も生まれると予想した。

2020年までにオタク人口とオタク用人工生命が急増すると思います!